- 狛江市に足りないものは何か?
- その中で行政が出来る事はあるのではないでしょうか。
- 一人ではできないことをみんなの力でやりましょう。
多くの仲間を募集しています。あなたの子供たちや孫たち、そして 祖父母のためにも動き出そうではありませんか。いざ進みましょう!!
- 後援会入会申し込み
01 市民のスポーツ窓口
スポーツ推進課を設置することで市民の皆様の運動実施に積極的にお手伝いをし、推進計画にある運動実施率を目標の70%を現実に!設置により施設案内や申込方法等と諸注意を正確に伝えることや、運動施設外の近隣の学校開放や文化教室の情報(4つの地区センターと4つの地域センター)、子供達の3つの施設などを紹介していける市民のイベント情報スポーツ窓口に!
02 スポーツによる健康の街狛江をつくる
狛江市を支えてくださる市民の皆様の健康はとても大切です。未来を担う子供たちには勉学だけではなく健康も大切です。健康には運動が大きく関わってきます。狛江の運動施設は不十分です。新しい施設を望むのではなく今ある施設の有効活用と整備が望まれます。子供達と一緒に目一杯スポーツをやろうではありませんか!小学校、中学校のスポーツ活動の支援をしていくために多くのボランティアの方々とともに校庭と体育館の整備を進めて学校開放ができるようにしていきます。又障害のあるかたや高齢者の方々にも優しい運動を推進するために11年前から「総合型スポーツ文化クラブ」を立上げ活動しております。「狛わくらぶ」を更に市民の皆様の健康維持に役立ち、高齢者には見守りクラブとなるように、今後も市民ボランティアの方々とも手を取り合い皆様の環境作りを進めて参ります。
03 施設のリニューアルオープンを目指す
新しい施設の建設は現実的でない。今ある施設の整備やナイター照明の設置は短期計画として進めることができる。例えば小学校、中学校の学校開放の規定の見直しと整備(校庭にナイター照明の設置)テニスコートのナイター照明の設置問題を隣接住民と話し合いの場を作り、理解を得る策を提案していく。狛江市民の健康を考えることで医療費や薬代が減りこれにより財政にも負担が減少していくことです。その為には生涯スポーツの推進と働き盛りの年齢層の運動の機会の増加が必要であると考える。働いているお父さんやお母さんが運動する場所やクラブが手ごろにあるように学校開放によって教室やクラブを作る事を進めて参ります。
04 狛江の歴史を残す資料館の設立へ
狛江市には多くの遺跡が発掘されています。ですが市民の皆様に展示する場所がありません。多摩地区で資料館のない市は狛江市だけです。市民の皆様や子供達に狛江の歴史を知ってもらうためにも文化財等の資料館の設立を推進して参ります。
PROFILE
プロフィール
スポーツの街狛江
ニックネーム「ヤマコー」(ヤマダ・コーチ)
山田 龍彦
- 来歴
- 1965年 中野区立桃園第三小学校卒業(中野区軟式庭球協会)
- 小学校1年生より軟式庭球を始める。
小学校5年生の時叔母(旧姓片柳光子)で全日本皇后杯優勝者に習い、中野区の小学生庭球教室にて熊埜御堂氏より指導を受ける。 - 1968年 中野区立第九中学校卒業(第9中学校軟式庭球部所属)
- 中野区中学校軟式庭球選手権優勝
- 1970年 東京農業大学農学部畜産学科卒業(関東学生選手権本戦出場)
- 1971年 私立海城高等学校卒業(海城高校硬式庭球部所属)
- 軟式庭球から硬式庭球に変更、初心者として指導を受ける。東京都春季インターハイ予選高等学校庭球大会ベスト4 関東庭球選手権少年の部 ベスト16
- 1971年 関東学生選手権本戦出場
- 1972年 関東学生選手権本戦出場
- 1972年 関東学生新進選手権ベスト4
- 1973年 関東学生選手権本戦出場
- 1973年 関東庭球選手権ダブルスベスト8
- 1973年 全日本学生庭球選手権ダブルス出場
- 1974年 全日本学生庭球選手権ダブルス出場ベスト16
- 1975年 東京農業大学農学部畜産学科卒業(農友会硬式庭球部)
- 1977年 上用賀テニスクラブ入社
- 1982年 ヘッドコーチ兼クラブマネージャー
- 1982年~1987年 スクール校長兼総支配人
- 1987年 上用賀テニスクラブ退社
- 1987年 株式会社サンコー設立 代表取締役社長
- ジュニア育成を目指し株式会社を立ち上げる
- ジュニア育成プログラム実施経歴
- サンコーテニスアカデミー設立ジュニア育成を手がける
- 1990年 横浜市市ヶ尾に昭和海運の昭洋テニスクラブ運営
- ジュニアアカデミーを開校〈40名のジュニアが練習〉
- 1995年からは私立藤村女子中学高等学校の非常勤講師として生物・化学を担当しながら藤村女子テニス部のヘッドコーチとして指導を始める。優秀な選手が集まり1995年から7年連続でインターハイに出場し、個人戦ではシングルス、ダブルスで優勝すること4回、また、団体戦1998年には準優勝に輝き、春の選抜大会では第3位に3回なりました。中学校テニス部は全国中学選手権大会で団体優勝を5回、個人戦ではシングルス、ダブルスで優勝すること6回と輝かし記録を作りました。しかし、学校の都合により2002年テニス部は解散することになり、現在は普通の部活動として頑張っています。
- 大学授業関係
- 1. 放送大学第一学習センター体育非常勤講師(元)
- 2. 多摩美術大学上野毛校舎体育非常勤講師(元)
- 3. 桜美林大学多摩エクステンション講師(元)
- 4. 昭和大学富士吉田教育部体育学研究室 体育授業兼任講師(元)
- 5. 日本女子大学家政学部被服科、体育非常勤講師(元)
- 6. 関東学院大経済学部体育非常勤講師(現在)
- 7. 通信制 代々木高等学校 スポーツ担当理事(現在)
- 社会体育関連
- 1. 東京都体育協会スポーツ指導者協議会 会長
- 2. 狛江市総合型地域スポーツ・文化クラブ 会長
- 3. 狛江市社会教育委員会委員(元)
- 4. 狛江市教育委員会スポーツ振興審議委員会会員(元)
- 5. 全日本学生庭球同好会連盟顧問(現在)
- 6. 狛江市第三中学校テニス部外部指導員(元)
- 部活動支援関係
- 1. 東京農業大学硬式庭球部監督(22年間)(元)
- 2. 国士館中学高等学校テニス部ヘッドコーチ
- 3. 藤村女子中学高等テニス部ヘッドコーチ(元)
- 4. 国士館大学硬式テニス部ヘッドコーチ(現在)
- 学術論文
- 1. 山田龍彦・弓桁亮介・角田直也・堀川浩之
- 論文名「一般学生における握力及びスポーツ経験とテニスレベルとの関係」
雑誌名「昭和大学富士吉田教育部紀要」,第3巻:41-50 2008年 - 2. 山田龍彦・弓桁亮介・角田直也・堀川浩之
- 論文名「初心者における握力とサービススピードの関係」
雑誌名「昭和大学富士吉田教育部紀要」,第4巻(号):75-80 2009年 - 3. 山田龍彦・山中裕・弓桁亮介・角田直也・堀川浩之
- 論文名「活動量計によるテニスレッスンの運動量」
雑誌名「昭和大学富士吉田教育部紀要」,第5巻(号):71-76 2010年 - 4. 山田龍彦・弓桁亮介・角田直也・堀川浩之
- 論文名「初心者における握力とサービススピードの関係」
雑誌名「昭和大学富士吉田教育部紀要」,第4巻(号):75-80 2009年 - 5. 山田龍彦・弓桁亮介・角田直也・堀川浩之
- 論文名「グレーディングを用いたテニス指導について」
雑誌名「昭和大学富士吉田教育部紀要」,第5巻(号):29-35 2010年 - 6. 山崎猛 山田龍彦・田中重陽・角田直也・熊川大介
- 論文名「テニスのフォアハンドストローク動作に及ぼす打点位置の影響」
雑誌名「東京体育学会第1回大会」 2010年3月6日
- 資格・免許
- 1. 日本テニス協会公認1級指導員
- 2. 文部大臣認定公認テニスC級コーチ
- 3. 文部大臣認定公認テニス上級コーチ
- 4. 日本体育協会認定公認テニス上級コーチ
- 5. 日本スポーツ協会公認テニスコーチ4
- 6. 中学高校理教員免許
- 7. 高等学校農業教員免許
- 業績
- 行政改革特別地域 伊勢志摩インタネット特区株式会麗光学園設立
- 麗光学園をサポート校として代々木学院と統合 代々木高等学校に改名
現在は学校法人代々木高等学校 スポーツ担当理事
狛江を住みやすく育てやすく健康でいられる街にしていく事を目的に!!
※入会金はございません。ご厚意による寄付をお願いしております。多くの応援団員が必要です。狛江の街は大きくはなりません。
市民により楽しく健康で明るい街にすることができます。あいさつをみんなの笑顔でできる環境を作りましょう。